はじめまして。非リア全落ち浪人生のSlqenialaphilpです。今回は、実際に何度か精神崩壊してしまった私の不合格体験記です。

私の限界レベルはそれほど高いわけではないのですが、それでも一部の方からすると多少衝撃的な描写が含まれる可能性があり、何かあっても責任は取れないので、先にそれを忠告しておきます。

休校期間

休校期間中、私はたくさん遊んでいました。「きっとここでちゃんと勉強してれば受かるんだろうな」という気持ちを抱えながら、好きなときに寝て適当に起きて、PCでいろいろなことをして付き合ってもない異性と寝落ち通話(ただし私は寝ない)という日々を繰り返していました。

途中、学校から課題が送られてくることがありましたが、この頃の精神状態はとても良好だったのでとりあえず提出必須のものは全てこなしました。偉いですね。

しかし、映像配信が行われていた物理の授業は全く受けなかったので、そもそも2年次から物理基礎があまり得意でなかった私は以後とても苦しむことになりました。

学校が近づくにつれ精神状態は悪化していき、とある特定の部位を掻きむしることが多くなりました。下着が血塗れになる毎日だったので流石にこれはまずいと思い絆創膏を付け始めたのですが、その結果今でも1日につき2枚以上の絆創膏を消費する生活が続いています。

夏休み前

1週間に1回以下のペースではありましたが、朝起きても体が動かせず、そのまま体調不良ということで学校に遅刻していきました。大抵は午後からでしたが、それでも休みはしなかったのはただ放課後友人と話すのを楽しみにしているだけでした。この時点で授業<<談笑でした。結局1年間ずっと最終下校時刻までダラダラ人と話してから帰った気がします。帰り道も週に1~2回程度のペースで遊んだような……
この頃は家に帰ると寝落ちする生活が続いていました。そうでなくても疲労を理由に勉強をせずにいました。一応「きっと今からでもちゃんとしっかり勉強すれば受かるんだろうけどなあ……」という考えは持っていたのですが、それでも勉強に手を付けることはできずにいました。

夏休み

よく覚えていません。短かった上に特に宿題もなかったので本当に何をしていたかわかりません。PortalとPortal 2のプレイ動画を全編視聴していた気がします。

9月

9月中旬に記述模試を受けました。その日は朝から精神状態が悪く、「知り合いに会ったら抱き着いて泣くかもしれないな」などと考えていました。国語の時間に叫び出しそうになったので咄嗟に上着を脱ぎ、強く抱きかかえることでなんとかやり過ごしました。

帰り道、駅のホームで電車を待っていたところ、乗る列車が来るのを見て「私はあれに向かって飛び込まないといけないんだ」という義務感に駆られ恐怖を感じました。この辺りから精神の崩壊が進んでいきます。

10月

10月になるかならないかというところで、ついに物理の問題集を解き始めました。ただ、それは出来の悪かった物理基礎、授業を受けなかったり授業中に爆睡したりしていた物理のあまりの進度の遅れをどうにか取り戻そうとするもので、お世辞にも受験勉強と言えるようなものではありませんでした。結局これが終わったのは共通テストの後でした。

10月中旬頃だったと思います。3年生になって初めて発狂しました。それまでもシャーペンをノートや机に敷いていた樹脂のマットに突き立てることはしばしばあったのですが、その夜は中1の頃から使っていたシャーペンを折り、ボールペンを折り、鉛筆を数本折り、そしていつか受けた模試の問題冊子を破りました。自室の床にはそれらが散乱し、足の踏み場もない状態となりました。

少し気持ちが落ち着いたところで、持っているアカウント全てで「たすけて」とツイートしました。1人反応してくれたFFがいて、しばらくDMでやり取りをしてなんとか落ち着きを取り戻しました。

そして、「いつでも刺せる」という安心感を得るために筆箱に縫い針を入れたのはこの頃だったと思います。結局、血が出るほど刺したのは1~2回だけでしたが、得られた安心感はとても大きかったので持っていって正解だったように思います。

11月

特筆することがないので省略します。強いて言えば全然解けなかったテストの解答速報作成を手伝ったのがこの頃だったような。

ああ、そういえば東大模試を2日間とも休んだんでした。疲労が溜まったのか微熱が出て、この状態で頑張って行っても入れてもらえないだろうという判断でした。ろくに勉強もしてないくせに一体何に疲れてたんでしょうね。

12月

この頃、以前から服用していた薬の処方が「精神的に辛いとき」から「毎朝晩」に変更になりました。今思うと、もっと早くからそうしてもらうべきでした。

第2週辺りに共通テストの模試を受けました。その前後辺りからようやく受験勉強というものに手をつけ始めました。しかし、それでも勉強時間は意識少し高めの1年生と同じくらいだと思います。まあこれはただの推測なので何の根拠もないです。学校で倫理の確認テストが配られました。分野別だからこれに合わせて勉強すると良いだろうとのことだったのですが、結局勉強しませんでした。バーカ。

冬休み

スクリーンタイムは何故か家族で奥多摩に行った1/2を除いてずっと8時間超だったと思います。1/2も6~7時間以上だったのであまり変わりはないです。

1月

この辺りで、いよいよ精神が慢性的に限界を迎えるようになりました。帰りの電車をホームで待っているとき、やはり列車が到着するとき吸い込まれそうになる毎日でした。実際に数歩進んだことも何度かありました。

共通テスト数日前になって初めて数学と物理と公民の共通テスト試行調査の問題を解きました。他の教科は解いていません。

共通テスト前日は帰りに新宿高野でフルーツケーキを買い、死にかけのテンションをなんとか上向きにさせました。

共通テスト当日は好きな曲を詰め込んだプレイリストを作成し、往路の電車内でそれを聴いてテンションを強引に上げていました。仲の良い友人と部屋が近かったので、休み時間毎に会って話していました。帰りもその人と一緒に帰りました。

飛ばし飛ばし解いていたにもかかわらず共通テストが終わってもなお物理の問題集が終わっていなかったので、とりあえずそれを終わらせました。「無理〜><」と友人に嘆くことがよくありましたが、何故わからないのかわからないのみたいな顔をされました。

正確にいつ頃始めたかは忘れてしまったのですが、遅くともこの頃には始めていたと思うのでここに書きます。

あまりにも死にたいと思うことが多くなったので、自宅の最寄り駅から自宅へ向かう途中、数分に1台程度車が通る道の中央を歩き、車が来たときに避けられるのかというテストを何度か行いました。その結果、毎回自然と体が避ける方向に動いたので私はまだ本気で死のうとは思っていないということがわかりました。

2月

某大入試の帰りに高輪橋架道橋に寄って身長があまり伸びなかったことを嘆きつつ東京の隠れ名所に別れを告げたり、某大入試の帰りに先の友人と一緒に私の1次選抜結果を確認したりしました。

2次試験の1週間ほど前から学校での自習が出来なくなって友人と会うことが出来なかったこともあってか、本番数日前に完全に精神が崩壊しました。詳細は割愛しますが、今度は気持ちを落ち着けるために友人との3時間の通話が必要でした。その日の就寝時刻は朝6時前で、スクリーンタイムは13時間程度でした。繰り返します。2次試験本番数日前です。

2次試験当日は大学の感染症対策が雑であることの愚痴をこぼしつつ、落ち着いて試験を受けることができました。しかし、初日の夜は気持ちが昂っていたのか寝ようにも寝られず、珍しく日付が変わる前に布団に入ったのに一睡もできないまま3時半を迎えました。眠りにつけたのは4時前でした。

初日の時点で想定を遥かに上回る不出来だったので既に諦めモードでしたが、2日目もそれなりに落ち着いて試験を受けました。色々な疲れから、帰りは逆向きの列車に乗った挙句寝過ごしました。

3月~

落ちているのは目に見えていたので、これが最後のチャンスと思い遊び回りました。合格発表は落ち着いて眺めましたが、友人たちの合否結果を聞くとき、合格でも不合格でも祝う気持ちと悲しむ気持ちの両方に襲われました。自分はそんなに器が小さい人間だったのかと絶望しました。多分、卒業して彼らと離れるのが辛かったんだと思います。今も辛く感じています。

予備校生活が始まったらすぐに精神が病んでしまうことは目に見えていたので3月中に遊んでいたのですが、そうやって遊んで精神が回復していくと同時に別れとこれからの浪人生活への不安が精神を蝕んでいたので、収支ではマイナスとなり、結局先日行われた予備校のオリエンテーションも吐き気との勝負でしたし、昼食を摂ることもできませんでした。正直、これからの1年間には不安しか感じられません。

その他生活習慣など

書き忘れていたのでここに書きます。私の食生活は、朝にうどん1玉を生卵と絡めて食べ、昼におにぎりを2つ、夜は家で出されたものを食べるというものでした。間食は日によってしたりしなかったり様々でしたし、精神状態によっては朝昼に食べる量がこれより少なくなることも多々ありました。入試当日も、共通テストも含めて朝昼は同じ食事でした。また、日中はあまり水分補給をしませんでした。

また、登校日が共通テスト1週間前に終わって以降も学校には行っていたのですが、その頃も含めて生活リズムはボロボロでした。2年次には2時前に寝て7時前に起きて学校で爆睡、ということが多かったのですが、3年次は少しずつ就寝時刻が遅くなり、3時過ぎまで起きて6時半に起きて何故か学校でも寝ないという日が多かったです。私自身不思議に思っています。

共通テストのあとはもっとひどいものでした。4時頃まで起きていることは少なくなく、起きるのは10時頃という生活でした。しかも、昼夜逆転生活である上にリズムが定まっているわけでもなく、人間的な生活とはお世辞にも言えない状態でした。入試が全て終わってからは最悪です。就寝時刻は変わらないのですが、睡眠時間は伸び、午前中に起きられないことが多かったです。しかも、13時近くまで寝ていたのに15時頃から2時間ほど昼寝をするなども日常茶飯事でした。本当にひどい生活を送っていました。

こんな生活リズムだったので、1日に2食しか食べない日はよくあり、ときには1食しか食べないこともありました。まあそもそも以前から昼食を抜くことは多かったのですが……

終わりに

ちなみに、この1年間の代償は大きく、少なくとも数本の鉛筆(未使用品含む)、2本のボールペン、1本のシャーペンが折れ、ノートと机のマットは穴だらけになり、机にもいくつか穴が開く結果となりました。折れた鉛筆の中にはどこかの神社の「合格祈願」と書かれたものがあったので、今年散々な点数で落ちたのはその罰が当たって必要以上に点数を落とされたのかもしれませんね。

シャーペンの先に木くずや紙片が詰まって使用不能となることがよくあったのですが、裁縫用の針を駆使して全て復活させました。みなさんも参考にしてみてください。

いかがでしょうか。これが(レベル低めの)限界受験生の実態です。上には上がいますが、上に行きたくはないです。まだ書き忘れていることがたくさんあるような気もしますが、すぐには思いつかないのでこれくらいにしておきます。

こういう記事を書きたいとhanaofanに伝えたところ、私の体験は多分参考にならないがよく考えたら既にドット会の記事は参考にならないものが多いから別に良い、という自虐的な執筆許可をもらったので書き始めたのですが、見返してみると本当に役に立ちませんね、これ。でもまあこの程度じゃnetlifyの鯖圧迫にはならないと思うので許してください。

ここまで読んでくれた皆さんに少しだけ役に立つかもしれないことを書いておきます。特に受験生は、少しでも精神状態が悪化したらすぐに病院に行ってください。薬を飲むことに抵抗がを感じる人は多いと思いますが、結局薬は手っ取り早く精神を安定させるのに役に立ってくれます。「自分の病み方なんてまだまだだから病院に行く必要はない」と思う人もいるでしょう。私もその1人でしたし、今でもこの記事を書きながら「確かに普通の人の役には立たないかもしれないけど、本当に限界を迎えている人はもっと大変な思いをしてるはずだから、私如きが限界受験生を名乗ってこんな記事を書く資格はない」という思いに苛まれています。しかし、そんなことはありません。これは自己擁護の意味も含むのですが、実生活に支障をきたすほどに病んでいるのは異常です。みなさんも、抱え込む前に早く適切な処置を行ってください。

そういえば、4/1の記事がWebArchiveに上がってました。良かったね。君達の愛はこのサイトが消えても証拠が残るよ素敵だね誰か知らないけどおめでとうリア充担当。

……終わりにって他に書く必要のあるものは特にないですよね? 終わります。お疲れ様でした。