こんにちは。ドット会中の人です。
ドット会中の人は社会は倫政(倫理,政治・経済)を選択しました。
先輩の影響もあって,アンチ地理なのです…

この倫政という教科が面白いんです。
政経は最初は知識が必要ですが,年代ごとの特徴などを押さえていけば,
色んな出来事のつながりが見えてきて面白いです。慣れると実は結構安定して得点できます。
ここでは倫理について,特に説明していきたいです。
倫理の面白さは数学の面白さに似ています。数学が好きな人は,きっと倫理も好きなはずです。

政経の勉強については,また別のところで紹介しますね。

注意

東大文科志望の人は,倫政を取ることはおすすめしません。
東大では二次試験で地理歴史から2教科を受験する必要があるので,
倫政を取ると,「倫政+地理歴史2教科」の合計3教科を勉強しなければならないからです。

数学の面白さは?

倫理が数学に似ている,ことを説明する前に,数学の面白さは何か,を明らかにする必要がありますね。
人それぞれだと思いますが,ここでは僕が思うことを書こうと思います。

  1. 論理の流れが明晰で,客観的に見てわかりやすいこと
  2. 個々の数学的事象(~の定理,や,証明手法:数学的帰納法など)は一般性が高く,色んな問題に当てはめたり,それらを応用したりできること
  3. それらの当てはめ方が多様であるがために,ある1つの現象に対して色んな見方をすることが可能であること
  4. 2.3.の妥当性が,個人のレベルで判断可能である(ことが多い)こと

これらの面白さは連関しています。1.であるがために2.が保障されており,2.であるがために3.が可能になっている,という形です。4.は1.に裏打ちされています。

例を用いて説明しましょう。1.は国語などと比べると分かりやすいです。数学は比較的,人間の認識のバイアスから離れた筋道で考えることができると言えます。(ただ,これは相対の話であって,数学も身体性が大事である,というのを森田真生さんの『数学する身体』を読んで痛感しました)

2.は色んな問題で「数学的帰納法」や「中間値の定理」という共通する原理が出てくるようなことを言っています。
3.は2.の裏返しで,逆に個々の問題を,様々な視点から,様々な風に捉えることができることを言っています。漸化式で定義された数列の極限値を,中間値の定理とはさみうちの原理で解くか,それともグラフ的に考察して解くか,では,結果は同じになるものの,道具の当てはめ方が全く異なり,そのため多様な見方が可能になっています。

もちろん,他の教科でも,事象の一般性と,個別現象の多様な考察は可能であることが多いです。ただ,他の教科では1.を数学ほど満たすことが少ないため,一般性や多様な考察の妥当性が怪しく,「ほんとか?」となってしまいあまり楽しめない事が僕は多かったです。つまり,他の教科では妥当性が,様々な他の概念との複雑な関係性の中で決定されることが多いように思え,4.を満たさないと考えました。歴史などがそうですが,この妥当性には合意が必要で,観察者の恣意性がかなり含まれてしまい,難しいな(小並),と感じてしまいました。(そこが歴史の面白いところ,と思う人もいるのかもしれませんが,僕は分かりませんでした)

数学の面白さを倫理に当てはめてみる

先ほど挙げた1.~4.が,倫理でも当てはまることを説明したいと思います。

論理の明晰さについて

倫理が対象にするのは「思想」であることが多いです。これらは,先人たちが論理的に思考した結果であることから,論理の流れは明晰であることが多いと言えます。

歴史との大きな違いは,倫理は具体的な出来事をベースにする必要がないということだと思います。(これは数学⇔理科の対比に似ていますね)出来事には,どうしても偶発的要因が含まれてしまいますが,歴史はそれを説明するのが目的な以上,それらをはらい切ることができないという限界があると思います。その一方,倫理は思想をベースに説明します。出来事は検証材料として扱うにとどめられ,偶発性を排除することも可能です。

高校の倫理では,先人たちの論理をある程度端折って説明していますが,これはそこまで問題ではないでしょう。数学でも,極限の説明にε-δ論法は使っていませんが,それを気にする人は少ないです。確かにこの面では,数学・倫理ともに妥当性の検証に厳密な論理より身体性・直感性が与える影響が大きいことは否めません。

事象の一般性について

先ほどと同様,倫理が対象にする「思想」は,個々の出来事から一段抽象レベルが上がった物だと言えます。そのため,様々な出来事に当てはめられるのは,必然です。

例えば,ヘーゲルの「弁証法」という概念を倫理的事象だとすると,これは倫理を学習していると色んな所で出てきます。キルケゴールは,この弁証法が「量的弁証法」であるとして彼の生きた時代に適用し,彼の時代が個々の存在から具体的な特有性を取り払ってしまっている,と考察しました。(専門家ではないので,細かい表現は参考にしないでください)ホルクハイマーは,彼の生きた時代に弁証法を適用し,人間の理性が野蛮に戻ってしまっている状況を説明しました。

また,比較的暗記が多いとされる日本思想でもそうです。「東洋道徳,西洋芸術」みたいな発想は,繰り返し出てきます。

個別現象の多様な考察について

これはもちろんできますよね。特に,西洋現代思想が顕著で,「現代」という共通する現象に対し,多くの思想家が,色んな見方をします。ある人はまだ近代的な理性の躍進を期待する一方,ある人は動物化したと捉えます。彼らの考察は,やはり一般性を持っているため,「その場しのぎ」の説明では無いのが特徴です。

歴史はどうですか?僕が2年の時に学習した範囲では,世界は1通りにしか見えませんでした。通史で勉強すると,1つの出来事の多様な映り方が見えてくる,という人もいます。

妥当性の判断可能性

この点でも,倫理は強いな,と感じています。思想は,人間の頭によって,人間の頭のために徹頭徹尾作られたものだと言えます。(リチャード・ドーキンスの「ミーム」という表現を借りれば,長い歴史を生き残ってきた「思想ミーム」は,その分「人間の頭脳」に対して適していた,とも言えます)

少なくとも,高校の倫理の範囲で習うことは,僕の感覚では,個人の頭脳で納得可能な物がほとんどだった,と思います。論理が明晰なものが多いですし,東大2016年度国語第一問で述べられているような「身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる」ことが多かったです。(それだけ「人間仕様」な物が多かったということです)

このような妥当性の判断が高校生にも可能であるがために,高校生が主体的に,「こういう考え方はこういう事にも当てはまるんじゃないかな」みたいな問を立て,それが上手くいくだろうか,などと検証する活動が奨励されているようにも思えます。2021年度共通テスト第1日程「倫理,政治・経済」の問題を見てみましょう。

第2問I問1

第2問I問1では,『古事記』で言われることがギリシャ神話にも当てはまるだろう,という探究的発想が高校生にも許されるのだ,ということが分かりますね。

第3問問2

第3問問2は,「一般→個別事象の考察」の流れが問われています。このような問題は,やはり面白いですし,倫理ならではの「数学的な面白さ」だと思います。

まとめ

いかがでしたか。倫理と数学の共通性がお伝えできれば幸いです。

他にも,数学が好きな人には,次のような部分でも倫理が好きになるかもしれません。

  • ウィトゲンシュタインは,言語の分析をする人,として倫理に出てくるが,彼は数学基礎論も研究していたため,「数学を数学する」要領で「言語を言語で分析」している
  • 倫理の学習内容が,数学に役立つこともあるかもしれない。演繹と帰納。また,それらと異なる思考法の「アブダクション(仮説形成的推論)」は数学の問題を解くうえで重要である

隙自語すると,中の人は倫政91点でした。倫理1ミス,政経2ミスです。